無事に最終国のベラルーシに入国しました。
早速、薄暗い空港やロシア帽を被る警官の姿に旧ソ連の匂いがしてワクワクしています。
お知らせ<その1>
本日11/25発売、雑誌AERAの「グローバル教育特集」の中で、我が家の旅が取り上げられています。
お知らせ<その2>
帰国後の生業が決まりました。
地域活性化の仕事に携わります!
飛騨の㈱美ら地球という
もともと自然環境保全・伝統文化継承にパッションを
この旅も経て、その解決策の一つが地域活性化で、
コミュニティも自然も文化もいずれも、
長
どうにかしたいと思う性格です。
事業によ
特に地方の暮らしに世界中
現代社会におい
ゆくゆくは、同分野
脱原発のための
特に小水力発
これまでは都会(兵庫西宮)に住んでいて田舎に住むの
子どもたちは必然的にこれまでにない人
日本においてもまた別の新しい世界
その意味で「多様な価値観
さ
自然も豊かですし、何より伝統文化が色濃
そして飛騨は観光資
国内外から様々なバック
お知らせ<その3>
30歳でこの旅を始め、31歳はアマゾンのジャングルで迎え、
一昨日32歳の誕生日をベラルーシのミンスクで迎えました。
31歳の1年は、文字通り家族とともに365日を過ごし、いくつもの大陸と文化圏を旅してきました。伊集院静氏は「果報者とは振り返る時間と思い出を持つ者だ」と言いますが、
その意味ではたくさん果報を積めました(?;-)。
会社員時代も毎日が充実して幸せでしたが、とにかく忙しすぎて、
今振り返ると私生活も含めて誰と会ったかどんな話をしたかとか思い出せず、
記憶にぽっかり穴が空いているような数年間を送りました。
出張から帰ってきて、
トキタラがその数日の間に歩けるようになったり言葉が話せるようになったりしていて
何度も驚きました。
もちろん子どもの成長は嬉しいものでしたが、
生まれた(妊娠した)その日から文字通り待ったなしで日々成長するという事実を改めて認識して、底知れぬ焦りを感じました。
家族や子どもとの思い出も、自らの記憶ではなく写真やビデオを見ないと思い出せないようになりそうで、それは嫌だと思いました。
それも理由の一つで、仕事に注いでいたエネルギーも全部家族にシフトして、
家族100%で、家族運営という人生においての一大プロジェクトをもっとゆっくり味わってみたいとこの旅に出ました。
私がシフトすることで周りの人に迷惑をかけたことは申し訳なく、
失ったものも少なくはなかったのでしょうが、
今は自らが下した選択に満足しています。
40歳で良い面構えをしていられるよう、
これから1年も名を惜しみ漂えども沈まずに暮らすつもりですので、
引き続きどうぞ仲良くしてください。
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けんじ (月曜日, 02 12月 2013 10:40)
これから先の森本家も楽しみです!
本当におもしろい選択をされてますね。
ヨメの妊娠が発覚してから森本家さんには勝手ながらすごく親近感を持たせてもらってます。
帰国時期が同じ頃になりそうなので、是非日本でお会いできれば嬉しいです!
so (火曜日, 03 12月 2013 02:17)
はい、是非日本にて!