「イヌイットの生活と文化」というノートをまとめました。
アザラシの息継ぎ穴の上で何時間も微動だにせずに待つ猟、
動物の皮で作った服まで食べてしまう飢え、ぶったり怒ったりしない子育て、配偶者の交換、など、今回カナダに滞在して勉強するまで知らないことばかりでした。
イントロ
過去形で語られるイヌイットの生活文化。ここに書かれたことのうち、一部は完全に失われ、一部はかろうじて残っている、というのが現状だろうか。
古くイヌイットの生活における”協同”方法は、近代社会において新しい価値観を生み出すだろう。
若いイヌイットが感情について話すときには、白人や英語を話すイヌイットととのほうが、簡単に会話できる。
なぜなら、イヌイット語よりも英語のほうが感情を表す単語が多いから。
多くの年老いたイヌイットは、考えについては話しても、何を感じるかについては話さない。
海氷が割れると海にはまってしまう。
犬ならばそのようなリスクがあるところを分かっていて回避できるが、スノーモービルの場合は危険である。
もしいつも狩りに行くのであれば犬を持っていたほうが良い。犬なら餌を与えるのも簡単である。
でももしあなたが平日に別の仕事を持っていて、狩りに行くのが仕事が終わった後とか週末とかなら、スノーモービルのほうが良い。
原始的な生活を送る人々が近代化にふれたとき、誰でも後戻りはできない。
イヌイットは、地球上で自分たちが一番美しい場所に住み、一番幸せな生活をしていると考えている。
1930年代に、ある文化人類学者がイヌイットの女性に、南部の暖かさや豊かさ(街や工場の様子)を話したところ、
その女性は「そこにはたくさんのカリブーが居るの?」と聞きました。「いや、一匹もいないよ」
「それではアザラシは?セイウチは?熊は?」「いや、全く」
「まぁ!」と驚きと哀れみの声をあげました。
狩り
イヌイットはホッキョクグマの力と利口さに対し深い尊敬を覚える。
イヌイットのアザラシ猟の技術や仕掛けの多くは、ホッキョクグマを見て学んだと言われている。
流氷の下にいるアザラシの息継ぎ穴は50cm以上の雪に埋もれているし、直径数センチなので見つけることが難しい。犬が匂いを嗅いで見つける。
穴を見つけたら氷の上の雪を注意深く取り除いて、そこに太さは縫い針ほどで長さは縫い針の2倍ほどの鹿の角で作った棒を挿す。
その棒の逆側は動物の腱で作った紐で骨の錘と結んであり、錘は氷上に置いておく。
その棒をセットしたら犬は遠ざけておく。咳や氷上の足をこする音にすら、アザラシは用心深いため。
猟師は氷のブロックを切り出して椅子にする。長期戦になるときには風除けも作る。
待っている間、足裏を保温するため、足は熊の皮の上に置く。
アザラシを待つためには格別の忍耐力が必要である。
-40℃近くまで下がる極寒の中、何時間も(時には数日も)微動だにせず音もたてない。
そして、かすかな当たりを見逃さないよう、深く集中する必要がある。
そしてついにアザラシが息継ぎのためにその穴に来る。アザラシの鼻先が仕掛けた棒に触れ、棒がかすかに上がり震える。
それを見逃さず、穴の上で待っていた猟師は渾身の力をこめて振り上げた銛を穴に向かって突き刺す。
銛の先は、ボタンのようにアザラシの体内で留まる形になっている。
銛が刺さったら、左手でアザラシに刺さった銛の刃先から伸びた紐を握りつつ、右手でアイスピック(銛の逆側)とスコップを使って、息継ぎ穴を広げる。
氷上に引きずり出せたら、目を突き刺したり、頭を叩いて止めを刺す。
春先の5月頃にはアザラシが氷上で日向ぼっこをする。
そのときには、何も身を隠すもののない氷の上をそっと忍び寄り、氷の穴にアザラシが飛び込んで逃げる前にしとめるという猟もある。
アザラシを怖がらせないために、猟師はアザラシの真似をする。
半身の腹ばいになって手は隠し、片方の足を上げたり下げたりする。これはアザラシが尾びれをバタつかせたり氷をひっかく動作を真似ている。
狙っているアザラシが眠った隙に、猟師は目立たないように頭を前にして急いで這って進む。水溜りがあっても厭わず、激しくひざとひじを動かして進む。
(アザラシは絶えず天敵に注意を払っていて、一度に数秒しか寝ない。しかもいつでも身をひねったら飛び込めるように、氷の穴の横で眠る。)
アザラシが辺りを見回すために頭を上げたときには、猟師は急いで止まり再びアザラシのまねをする。
もし全てがうまくいった場合、一時間ほどかかって、あと10歩ほどの距離まで近づく。
そして、あとはアザラシが氷の穴から海に逃げ込む前に、ダッシュして銛を打ち込むだけである。
大部分は、いかに気づかれずに近づけるか、驚きの要素にかかっている。
成功するか否かに関わらず、猟師はいつも骨身にしみる寒さに耐える必要がある。
春には女性や子どもも巻き込んでアザラシ猟を行うこともある。
しばしばそれはパーティのようで、誰もが温かい気候の中で冗談を言ったりからかいあったりする。
その頃には息継ぎの氷の穴は、上の雪や氷が溶けて、簡単に見つけられるようになっている。
各自、一つずつの穴を担当し、もし女性や子どもが見張っている穴からアザラシが出てきたときには、”居た、居た!”と大きな声で叫び、
氷を棒で叩いて驚かせて、アザラシに息継ぎをさせずに再び海の中に潜らせる。
付近の息継ぎ穴が漏れなく見張られていると、徐々にアザラシは男の猟師が見張っている穴から顔を出し、そこで捕まえられる。
氷に穴を開けて釣った魚は、釣れたときの頭の向きのまま置いておく。そうすると、
流れをさかのぼっているのか、下っているのか、その日の魚の群れの様子が分かる。
イヌイットと動物
熱を加えたカリブーの角はどんな形にも曲げることができる。
また数日水に漬けても柔らかくなり加工しやすくなる。乾けば再び硬くなる。
鳥やカリブーの骨の髄の管形状を利用して、針入れやストローなどを作る。
カリブーやジャコウ牛ではなく、アザラシを獲る理由
・冬の雪の上を歩くと音がなるので警戒心の強い動物に近づくのが難しい
・内陸部は沿岸部に比べて寒さが厳しい
・脂肪分の多さ。
カリブーもジャコウ牛も、アザラシほどの脂肪分を含んでいない。イヌイットはアザラシの脂肪を食べ物としてもランプの燃料としても必要とする。
ホッキョクグマの肝臓には毒がある。
驚異的な量のビタミンAが含まれ、もし食べると激しい目眩や腹部の痙攣、失明、時には死に至る。
海氷の状態が良いときには、1平方キロメートルあたり、4~14匹のアザラシが住む。
これは、ツンドラの陸地に住むカリブーの許容数よりも多い。
アザラシは体重の40%が脂肪
海水の中に棲んでいるので、アザラシなど海に住む哺乳類は永遠に喉が渇いていると考えられている。
それらを獲ったときには、口に水を注ぐことで、彼らの魂を喜ばせる。
鳥を捌くときに頭や足や羽の付け根に油を垂らす。
狼や熊が獲れた日には、女性は縫い物をしない。
少年が初めてアザラシやカリブーの狩りに成功した日には、母親が動物への哀れみを示して泣くふりをする。
アザラシの皮を陸で縫うこと、カリブーの皮の服を海の上で縫うことは、いけないこととされる。
陸のものと海のものを同じ鍋で料理することもいけない。
隣同士に置くこともいけない。
流木を使って陸で料理することもいけない。(流木は海のもの)
さもないと動物の霊が怒り、嵐や飢えがもたらされたり、氷山が村にぶつかったり、その人が病気になったりすると信じられている。
爬虫類や両生類はイヌイットが住む地域には居ない。(寒すぎて体温調節ができないため)
飢えとサバイバル
ひどい飢えの時には、代えの服も食べられ、その次には犬が。
老人や子どもから先に死に、人肉食も起こる。
老人が死ぬような飢えは3、4年に一度。6~8年に一度、たくさんの人が死ぬ飢え。そしてどの世代も一生のうちに90%以上の村人が死ぬ飢えを一度は経験する。
冷夏のときには昨年の氷が溶けきらずに秋になってそれが岸に押し寄せて再び凍り、波でギザギザ凸凹のプレートとなる。冬の狩りや移動をとても難しくする。
さらに、アザラシが息継ぎ穴を作れないために他のエリアに移動してしまう。
吹雪の日には家の外には出られず、長引く吹雪はたやすく飢饉へと結びつく。
猟師のための食べ物が無くなり、狩りにいけないほど弱ってしまったら、どうすることもできない。
壮絶な飢饉は、それを生き延びた人の体や心に永遠に刻まれる。
たとえ共食いによって村人の数が減ろうとも、共食いによって残った人が社会的に追放されることはない。
その行為は必然であったためである。
アザラシ狩りが失敗に終わると誰もが悩む。それは飢えのためだけではなく、アザラシの油は燃料でもあるので寒さに悩まされるためである。
貧苦の中、人々は動物の毛皮で作った服を食べなければならなくなる。
苛酷な状況下で集落に十分な食べ物がなくなって移動しないといけないとき、自らの父親や母親など老人をそこに置きざりにしていくという難しい決断がされることがある。
老人には小さな雪洞がシェルターとして、またお墓として建てられ、少しの食べ物が残され、他の人々は去っていく。
別れの言葉はなく、後ろを振り返ることもない。
状況が良くなったときに、人々は思い出すことを止めるだけである。
アリューツ族の言葉で、2月は”蓄えた食糧が尽きる月”、3月は”革でできた紐や服を食べる月”という。
幼児殺しは夏に時々行われる。なぜなら、両親は夏の長距離の放浪時に子どもを一人しか抱きかかえられないからである。
20世紀初頭の統計によると、二人に一人の女児が誕生時に殺された。幼児殺しの方法は、窒息死や冬季の屋外への放置など。
それによって男女の人口比が偏る。(男性が多くなる。)
ただ、男性は少ない女性をめぐって争い死に、さらに事故(溺死、凍死、氷河からの落下、怪我からの合併症、狩り)の死亡率がとても高いので、年をとるに従い、男女比はバランスは取れる。
これらのことから、自然と、限られたキャパシティの中で人口が保たれる。
戦の要因はいくつもあるが、もっとも一般的なのは女性を巡る戦いである。
厳しい環境下では何人もの子どもを養えず、獲物(食料)を生み出さない女の子の養育は、より難しかった。
子育て
子どもたちは、過去に亡くなった祖父母や親戚の名前を引き継ぐ。
子供たちがぶたれたり怒られたりしないのは、そうすることが彼らが引き継いだ守り霊に対する大いなる侮辱だと信じられているからでもある。
子供たちは何が良い行いなのかを教えなくても知っている。
生まれたときには彼らは知っているのだから、ただ大人は彼らが忘れてしまったときにだけそれを思い出させてあげるのである。
イヌイットは、白人の大人とは違って、いたずらっ子に対してぶったり叱ったりすることはない。より控えめに効果的な方法をとる。
穏やかに辛抱強く、子供たちが道理をわきまえた行動をとるように導く。
愛と賞賛と少しの褒美によって、望ましい振る舞いをより強固なものにする。
望ましくない振る舞いは、おだてたり、からかったり、恥ずかしがったり、あるいは単純に不満を示すために沈黙することで、修正される。
子供たちのわんぱくやいたずらは決して罰せられることはないが、しかし悪い霊が報復にくると脅かすことは、行いを正す方法の一つとして用いられる。
子供たちは幼児の頃から共有することを教えられ、いつも大人たちが共有しているのを見ている。また彼らの住む社会全体が、所有に価値をおかず、共有に大きな価値をおく。
競争や自己主張や支配衝動に繋がるような遊びは存在しない。個人主義は集団の知恵を無くすものだと考えられている。
両親や社会やその文化が、子供たちが喜んで働きたくなるような感情的雰囲気を作り出している。
カリブーの皮で作ったオムツを除いては、赤ちゃんは普段から裸で過ごす。
生まれてから数ヶ月は、ずっと母親のコートの中で母親と裸の肌を重ねて安全に暖かく過ごす。
子ども同士が時には叩いたり取っ組み合いの喧嘩をしたりすることは当たり前なので、大人たちは誰も注意を払わない。
大人たちは、子どもの荒っぽいおふざけにも落ち着いていて、寛大に無視をする。
文化慣習、生活の知恵
泥棒は極めて少ない。それは盗む対象物が少ないという理由ではなく、盗んだものを隠すことができないからである。
誰もが、例えば、これはクナナのナイフで、これはカルックの橇だ、と知っている。
物惜しみや親分肌など、集団生活に悪い影響を及ぼすことはイヌイット社会で罪とされる。
暴力も、個人の手におえなくなったときに集団の関心事となる。
配偶者の交換は、社会の連携を深める主要な方法の一つである。
村に入ってきた余所者がまずはじめに試みることは、その村でのスポンサーを得るために誰かと妻を交換することである。
配偶者交換を行った家族同士は連携し、(飢饉など)危機の時には頼りあい、旅のときには宿や食事を提供し合うなど、あらゆる日々の生活で協力しあう。
彼が死んだ後、彼の家族はその遺体を岸辺に置いた。
すると突然、海からたくさんのセイウチが大波のように上がってきて、彼の体を海に引きずり込んでいった。
その男はかつて一匹のセイウチだったに違いない。だから、セイウチがその体を持っていったのだ。
イヌイットはイヌクシュク(石や岩を人型に積み上げたもの)を陸のあちこちに作る。
彼らは無線やラジオを持っていなかったので、
よく魚が釣れる場所を見つけたときには、次に来る人へそのことを教えるために石を積み上げた。
カリブーが居るときには、大きなイヌクシュクを作ってその後ろに隠れて、カリブーが近づいてきたときに弓や矢で撃った。
イヌイットが寒さを感じないという話は本当ではない。
ただ単に、寒さに対して不平不満を漏らしたところで無意味であることに気づいているだけである。
あざらしの毛皮は、より防水効果を高めるために、服や靴に利用する前に、尿に漬けられる。
イヌイットは、衣服が湿ることに対してとても注意深くないといけなかった。
なぜなら、毛皮は化学的になめしていないので、湿ってから再び乾くと硬くなってしまうためである。
冬には、上着は家の中に持ち込まず、(イグルーの)入り口通路にかけておく。
どんな服でも体の水分を吸収していて、毛皮のさまざまな層でその水分が凍りつく。
放っておくと、その水分や氷が日に日に溜まっていき、ついには服がだめになってしまう。(ヨーロッパの北極探検家がそうしたように)
イヌイットは入り口通路に服をかけることでわざと服を凍らせてしまい、それから鹿の角の棒で服を叩いて氷を落とす。
そうしてから、服は室内に持ち込まれランプの上のラックにて乾かされる。
結婚はオプションではなく、生死に関わる重大事であり、狩人とお針子の団結である。
誰も他人への貢献無しには生きられない。
食うに困らず、着るに困らず、日々を生き抜き、子どもを育て、近づく老いに対しても安心感を得るためには、配偶者が必要である。
イヌイットの文化同様に、彼らの住むイグルーも完全に機能的である。イグルーは雪という無物からできているのに。
aniu: 飲み水に適した雪
apiqqun: 秋に降るその年初めての雪
aqilluqaq: 新鮮で柔らかい雪
mahak: 溶ける雪
minguliq: 舞い散る粉雪
natiruvik: 表面を吹き飛んでいく雪
patuqun: 霜の降りたキラキラした雪
pukak: 砂糖のような雪
pukaraq: 細かい砂糖のような雪
qaniaq: 軽く柔らかい雪
qanik: 雪のかけら
qanniq: 通常降る雪
qayuqhak: あひるの頭に似た雪の吹き寄せ
ukharyuk, qimugyuk, aputtaaq: 雪の吹き溜まり
イヌイットは何もしないでいることが得意である。
白人のようにあくせくすることもなく、絶え間なく何か予定を入れないといけないと思うこともない。
何日も遠く広い氷の上を狩りに出かける反面、何日もブリザードを避けて狭いイグルーの中に居ることもある。
白人であれば気が狂ってしまう局面でも、リラックスしている。
シャーマンは人々に、病気、悪い天候、不猟、など、本当はコントロールできない事象をコントロールできるという幻想を与える。
そして苛酷な状況でも人々に希望を与え、人生にドラマと色合いを添える。
イヌイットの言葉には数字は6までしかない。
冬至を過ぎて一番初めに太陽が地平線から昇るとき、氷の上に一人居ればはっきりと太陽の静かなため息が聞こえると信じられている。
夏の居住地へ移動するとき、
もしも暖かい気候であれば日中に寝て夜に移動する。夜のほうが氷が硬く凍って橇がよく走るからである。
海氷の上から陸の岸辺に到着すると、人々は、沖合いの小さな島や崖の上など熊や狼から安全な場所に、冬の装備を隠しておく。
カリブーやアザラシの毛皮の端に、魚が一列に並べ、くるくると棒状に巻く。
それを凍らせて、橇の刃の代わりにする。(木がないため)
オーロラは、霊による良い天気の約束だと考えられている。
妻は、家族全員の革靴が柔らかく快適であるように、その革靴を噛む。
子どもも大人も、狩りや旅をするときには、驚くほど長い時間眠らずに居られる。
あるいは、何かとても楽しいことがあるときには、眠らずにただそれをやり続ける。
一方で天気が悪かったり何もすることがないときには、悪びれることもなく長い時間喜んで眠る。
十分な睡眠は、人間にとって良いものだと考えられている。
かすかに眉毛を上げるしぐさは”はい”を示し、かすかに鼻に皺を寄せると”いいえ”を表す。
日本語と同じく、「you don't have brother ?」という問いに対し、居ない場合は「Yes」と応える。
コメントをお書きください
あ (日曜日, 15 6月 2014 13:27)
あ
あ (日曜日, 15 6月 2014 13:29)
よくわかりました
イヌイット (月曜日, 16 6月 2014 20:22)
参考になりました
中学生 (月曜日, 16 6月 2014 20:23)
最高
学生 n (水曜日, 06 8月 2014 21:35)
参考になりました
中学生 (月曜日, 18 8月 2014 16:00)
参考になりましたわかりやすかったし最高です
あ (土曜日, 23 8月 2014 17:44)
使わせてもらってもいいですか?
幼稚園 (月曜日, 18 5月 2015 18:53)
なかなか良かったです
中学生 (日曜日, 07 6月 2015 11:45)
参考になりました
中学生 (日曜日, 14 6月 2015 14:51)
期末テストに役立てます
ありがとうございます